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美のために

パーマイメージ

女性の「美」にかける意気込みや努力は、おそらく男性には到底理解できないほど大きなものなのだろう。たとえ脚が疲れようと、雪の日で危険だろうと、脚や身体のラインを美しく見せるためにハイヒールを履き、毎日、朝晩の時間をお化粧やお肌のケアに使っている。ダイエットのために食べ物を制限し、休みたい時も運動に励み、毎日の服装に気を使う。
髪についても、毎日のヘアケアはもちろんのこと、定期的に美容院に通い、ヘアスタイルには常に気を使う。そして自分の気に入ったウェーブをかけるために、多くの時間とお金をかけている。このカールやウェーブを作る「パーマ」のために女性は、古代より大変な努力と挑戦を繰り返してきた歴史がある。今回は、そんな多くの女性に愛される、パーマについて調べてみた。

パーマの歴史

髪にウェーブをかける行為は、古代の女性にとっても美の象徴であったのだろう。パーマ技術のルーツは、なんと今から5000年前、紀元前3000年頃まで遡る。エジプトの女性たちが、髪の毛に濡れた土を塗り、木の棒などに巻きつけ、天日で乾かしてカールを作ったという記録が残されている。しかし、エジプトの強烈な日差しがあっての技術だったのだろう。この方法が広く伝わることはなかった。

そんなパーマ手法の開発に動きがあったのは19世紀中頃のこと。当時のパーマは、石油ランプでカールアイロンを熱し、毛髪を巻きつけてウェーブを作るというものだったが、1872年(明治5年)にパリでマルセル・グラトーという人物が「マルセルウェーブ」を発明する。これは、カールアイロンに巻きつけられた毛髪を押さえる機能がついたものだが、湿気に弱く、洗髪をすると伸びてしまうという問題があった。
この悩みを解決したのが、1905年(明治38年)にドイツ人のチャールス・ネスラーという人物が開発した「電髪ウェーブ」という技術で、現在行われているパーマの原型となるものだった。

日本に電髪ウェーブが輸入されたのは、1923年(大正12年)のこと。では、日本髪と束髪が大半であった当時の日本の女性たちに、このパーマはどのように受け取られたのか。実は大正という時代は女性の変革期でもあったのだ。大正デモクラシーや婦入解放運動が起こり、女性の意識にも大きな変化が生じた。そこに伝えられた電髪ウェーブは、新しい女性のシンボルとも言えるものだったという。大正ロマンを表現したレトロ風のポスターに載っている、ご婦人の髪の多くにウェーブがかかっているのも、この影響があるのだろう。
ただ、こうした盛り上がりも、その後の戦争によって一時姿を消す。敵性風俗であり、贅沢であり、そもそもパーマに必要な金属製の機械が兵器製造のために姿を消してしまったからである。しかし、女性の美への意識が、戦後すぐに、パーマを「電髪(でんぱつ)」といった呼び名で復活させることとなる。
その後、電髪であるホットパーマに代わって、パーマ液を使うコールドパーマが主流となるが、最近では「デジタルパーマ」という名称でホットパーマが再び復活し、コールドパーマとの間で女性の髪を巡る熱いバトルを繰り広げている。

(2008年4月28日掲載)