
畳は私たちの生活でお馴染みの存在であるが、改めて考えてみると、これほど様々な優れた特性を併せ持った床材は他にないだろう。まず、直接座る際にクッションの役割を果たす。床に直接座る生活も、この畳あってのこと。しかも、クッションのように柔らかいばかりでなく、その上に机や箪笥などの家具を配置できる。また、春から秋は高温多湿で、冬は低温乾燥という気候風土の日本において、湿度調節を行い、二酸化窒素などの有害物質を吸着する効果もある。
さらに、日本間は畳あっての存在だが、その色彩は完璧なバランスの上に成り立っている。同じ茶色系で統一され、床(畳)から天井にかけて少しずつ色を明るくする仕掛けには、人をリラックスさせる効果があるという。また、畳あってこその正座、そこから生まれる生活様式や日本文化。これを草の素材を編み込むことで作り上げる発想も他の国では見られない。今回は、そんな畳について調べてみた。
畳の歴史には諸説あるが、記録として最初に登場したのは「万葉集」や「古事記」の時代。ただ、「菅畳」「皮畳」「絹畳」という言葉で表現された当時の畳は、現在の茣蓙(ござ)に近いものだった。現在の畳の原型となるものは、平安時代に登場し、主に身分が高い者の居場所として使われていた。そして、部屋全体に敷き詰める床材としての始まりは、室町時代に入ってから。ただし、当時も身分が高い一部の者だけが使っていて、庶民の間に畳が広まるのは江戸時代(中期)に入ってからとなる。
つまり、私たちと畳との歴史は300〜400年ということになる。桃山時代に畳と茶室を使い、限られた人々によって作り出された茶道は別としても、正座や正座を前提とした様々な生活様式・日本文化も、畳が普及した約400年の間に一気に成熟したと言えるかもしれない。
ところで、畳は地域などによって様々な寸法があることをご存知だろうか。主なものとしては、京間(955mm×1910mm)、関東間(880mm×1760mm)、中京間(910mm×1820mm)などがある。部屋の広さなどに違いが出るため、ごまかしの道具だとも言われるが、これには少し事情があるようだ。例えば、中京間の寸法が小さくなったのは、幕府が税金をより多く取るためという説がある。当時は土地や家屋の広さなどを畳の寸法で測っていた。つまり、畳の寸法を小さくすれば、より多く課税できるため、畳自体の寸法を小さくしたという。また、関西が畳を基準に家を建てるのに対し、関東は建物を建てた後に畳を合わせて作ったため、関東間の寸法が小さくなったという説もある。
ちなみに、小さい部屋の畳の代名詞とも言われる団地間(850mm×1700mm)も、部屋を多く作るためと思われがちだが、それは違う。団地は木造建築の一軒家と構造が異なり、壁内に配管などを通すために壁が厚くなる。そのため、少し狭くなる部屋に合わせた畳が必要になったということらしい。
(2008年4月14日掲載)