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第118回 『うどん』

■ 関西人はうどん好き!?

関東の蕎麦、関西のうどんは良く比較される構図だが、どうして関西人がうどんを愛してやまないのか、その理由を知る人は少ない。「東京の真っ黒いツユのソバなんか食べられない!」、「あんな腹持ちが悪くてキザな食べものは好かん!」など、「蕎麦」より「うどん」という後付の理由はいくらでも言われているが、どうして関西方面で「うどん」がここまで好まれるようになったのかはやはり語られない。
まさか大阪人気質に合っていたから、といったものではないだろう。うどんの歴史が何か関係しているのだろうか。今回は、そんなうどんについて調べてみた。


■ うどんの始まり

うどんに限らず、広い意味の麺の文化は8世紀、奈良時代に中国大陸から遣隋使や遣唐使によって持ち込まれたという記録がある。さらに中国大陸でのルーツを辿ると前漢時代にまで遡る。麺の文化は、黄河中流域に位置する「西安」「太原」「洛陽」など3つの古都を結ぶ三角地帯で生まれたものだと言われている。前漢時代といえば、皆さんご存知、項羽と劉邦が活躍した時代。歴戦の英雄達も、うどんのルーツとなる麺をチュルチュルと食べていたのかもしれない。
日本におけるうどんの歴史にも、歴史的人物が登場する。あの弘法大師、空海である。空海の生まれた香川県、讃岐には一つのうどん伝説が残されている。「讃岐のうどんは空海が唐から持ち帰った」というものだ。たしかに空海が平安時代(804年)に遣唐使として大陸に渡り滞在した先の長安は、うどんの原料である小麦の産地であった。もともとあった麺類が、小麦を使った「うどん」として作られ、これを食べた空海がそれを故郷に持ち帰ったとしても何ら不思議ではない。
元祖うどんの地、讃岐が現在、うどん王国となっているのは皆さんもご存知の通り。ただ、この讃岐でここまでうどんが愛されるようになったのは、空海が伝えたという理由だけではない。実は讃岐の地域的な事情も影響していると言われている。ここはもともと雨が少ない地域で、さらに早い時期から街として栄えた地域だったにも関わらず、限られた土地しかなかった。そのため平地だけでなく山も切り開き畑として耕され、少ない水で裏作が可能な小麦が盛んに作られた。これがうどん作りの背景にあったのだ。さらに、小麦からできるうどんの安さと手軽さは、堅実でせっかちな面があると言われている香川の人々の気質に合っていたのだろう。
安価好きでちょっとせっかちと言えば、関西人もまさにこのタイプ。瀬戸内海を渡り、関西全体が瞬く間に「うどん文化圏」となったのも、当然だったのかも知れない。まさか大阪人気質に合っていたから、のまさかだったのである。
(2006年11月27日掲載)

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