





第117回 『パチンコ』
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■ 日本人にだけ分かるその魅力
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「28兆7490億円」、どこかの国家予算を思わせるようなこの数字。実はこれ、平成17年のパチンコ店の売り上げである。その全てがパチンコ店の利益になるわけではないが、それにしても凄い数字である。パチンコ人口は日本で約1700万人、単純に計算すると、パチンコをする人は1年間で一人当たり約169万円を投資していることになる。パチンコが多くの日本人を熱狂させているのは間違いないようだ。またパチンコは、世界中で日本以外にはアジアの一部の国にしか存在しない。日本発のカラオケがあっさりと全世界に広がったのを考えると、日本ではメジャーな存在であるパチンコが、世界ではほとんど存在していないというのは不思議である。パチンコには、何か日本人にしか分からない魅力があるのかもしれない。今回は、そんなパチンコについて調べてみた。
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■ パチンコの始まり
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パチンコは大正時代に誕生したといわれている。元となったのは、大正9年にアメリカ(イギリスという説もある)から持ち込まれたバカテル(日本名:コリントゲーム)というゲームである。斜めになった板の上にクギが打たれ、そこにボールをはじいて転がし穴に入れる、そう温泉などで見かけるスマートボールのようなものだ。当時はコインを入れると玉が出てくる仕組みだった。そして、このバカテルをヒントにパチンコが生まれるまでに、二人の人物が登場する。
まず、コインの代わりに玉そのものを購入して入れる方式を考え出した藤井文一という人物。彼は、名古屋で玉入れ方式のパチンコ台の製造に取り掛かる。主な材料は、ベニヤ板と表面のガラス。幸運なことに、当時の名古屋はベニヤ板の日本有数の生産地で、入手がとても容易だった。今でも名古屋にパチンコ台の製造メーカーが多いのも、この事情によるところが大きい。残るはガラス、次に彼は名古屋のあるガラス商を訪れる。そこで出会ったのが正村竹一という人物。この人物こそ、近代パチンコの生みの親といわれる人である。
彼は、藤井文一氏の相談を受けながらも、自らもパチンコの魅力と将来性に気付き、パチンコ店を開業する。一時戦争によって名古屋のパチンコ店は壊滅状態となってしまうが、正村竹一氏の開業した5件のパチンコ店だけは被害を免れる。この偶然が、現在28兆円といわれるパチンコ産業の礎を築くことになる。
戦後パチンコ店を再開した彼は、実にユニークなパチンコ台を考え出す。それまでのパチンコ台は、全面に一定間隔でクギが配置され、打たれた玉は上からただ単純にカラコロと落ちてくるだけのものだった。彼はクギの配置を工夫したり、羽根車を配置したりすることによって、玉があちこちにはじかれ、ガラスにも派手に当たってカチカチと音を出す細工を行なった。まさに現在のパチンコ台の原型である。この変則性と音は人々を熱狂させ、瞬く間にパチンコ店が全国各地に登場することとなる。その後の隆盛は皆さんもご存知の通り。
ところで、パチンコ台が一体いくらするかご存知だろうか。もちろん機種によって差はあるが、価格はなんと1台20万円を超える。しかし、それほど高価なものにも関わらず、その寿命はたった半年程度。つまり1年に40万円以上があの狭い1台のスペースにつぎ込まれていることになる。なかなか勝てないわけである。
(2006年11月13日掲載)
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