





第113回 『公衆電話』
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■ 公衆電話の消滅
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今、公衆電話が無くなりつつあるという。ほとんどの人間が携帯電話を持つようになり、あまり公衆電話が利用されなくなったのが原因のようだ。設置台数も1995年の約80万台から2004年には約44万台となり、数字の上でもあきらかに激減している。公衆電話を一度も使ったことが無い世代、公衆電話という言葉さえ知らない人も、もう当たり前にいるのかもしれない。「ちょっと電話をかけに外に行ってくる」なんて会話など若い人達にとっては、きっとSFの世界に近い感覚なのだろう。
1876年2月14日に電話が考案されて約130年。この日、同時に特許出願を行ったアメリカのベルとグレイも、まさかこんな日が来ようとは思わなかったにちがいない。今回はそんな公衆電話について調べてみた。
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■ 公衆電話の始まり
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日本に初めて公衆電話が設置されたのは、1900年(明治33年)のこと。それまで郵便局や電信局などにしか設置されていなかった公衆電話が初めて街頭に設置された。場所は上野、新橋の2か所。ついで翌年には日本初の電話ボックスが京橋に建てられた。この頃の公衆電話の名称は「自働電話」。英語の「オートマチック テレフォン」の直訳がそのまま名前となっていた。最初の料金は市内通話で1通話(5分間)15銭。天丼並1杯5銭、散髪料金8銭、白米10kg1円12銭という当時の物価を考えると、1通話2000円といったところか。2年後、5銭に値下げされるまでは、やはり新しモノ好きかお金持ちのものだったようだ。
その後、昭和、戦後の復興期に赤電話が登場する。これは戦争によって電話機や通信施設が破壊された状況でなんとか電話不足を解消するのが目的で、電話局が電話を店舗などに設置させてもらい、管理を委託する形の委託公衆電話だった。続いて1959年(昭和34年)には、ピンク電話が登場する。これは「特殊簡易公衆電話」と呼ばれるもので、一般の加入電話を公衆電話としても利用できるようにしたもの。つまり相手からもかかってくる公衆電話のことで、アパートや病院、喫茶店などでお馴染みのものである。そして1968年(昭和43年)に青電話が登場する。これは委託でも、一般電話の兼用でもない純然たる電話局による公衆電話。この青電話の登場により、その後、電話ボックスが一般的に普及し始めることとなる。
皆、それぞれに思い出のシーンがきっとある公衆電話。あと何年存在するのかは分からないが、近い将来、「あと世の中に1台」なんてことになり、最後の通話でお別れを惜しむイベントが開かれたりするのかもしれない。さびしいかぎりである。
(2006年9月25日掲載)
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