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第110回 『正座』

■ 日本だけのもの

床に直接座るスタイルは、そう多くの種類があるとは思えない。胡座(あぐら)、体操(体育)座り、横座り、立て膝や足を前に投げ出す座り方、よく女性がやっている足をお尻の左右に並べる、いわゆるペッタン座り。どれも人間の関節の付き方や身体の楽な加減から自然発生的に生まれたものなのであろう。その中で「正座」という座り方は、日本人だけが(中東などでは礼拝の時などに使われているが)ごく自然に生活の中に取り入れているものらしい。
正座の特徴は、他のどんな座り方よりも背筋が真っ直ぐに伸びる点にある。立っている時よりも正座の時の方がむしろ姿勢のよさが際立つような姿である。しかし、足への負担という面からすると、決して楽な座り方ではない。今回はそんな正座について調べてみた。


■ 正座の始まり

日本の様式美の基本といえるような正座だが、その歴史は意外と新しい。例えば、ドラマなどでもそうだが戦国時代では、お殿様を前にした家臣であっても正座ではなく胡坐だった。つまり胡坐が正式な作法であったのだ。女性の場合でも、立てひざ、横座りなどが一般的だった。今、戦国時代を演じる女優さんたちが美しく正座しているのは、あくまで現代風の演出なのである。
もともと正座が生まれたのは室町時代。当時の茶道の発展と共に生まれたとされている。ただ正座を行うのは、この茶道の時か、神前・仏前の礼拝など特別な儀式の時に限られていたようだ。江戸時代になると、まず徳川家で正座が作法として取り入れられた。おそらく徳川家の正式作法の一つ、小笠原流の影響が大きかったのだと思われる。そして将軍と謁見する大名の間で正座の様式が取り入れられることになる。
当時、武士の間の位は、座るときの畳の目によって区別されていた。序列が畳によって示されていたわけだ。そのため将軍と大名が相対するのは必ず畳の間だった。この柔らかい畳の間だったからこそ、正座が自然に受け入れられたと考えられる。地元に帰った大名は、さらに自分の家臣たちに正座を広げた。もちろん家臣が大名と謁見する場所も畳の間であった。そして江戸中期以降、畳が徐々に庶民の間に普及していくのにともなって、正座も広がっていくこととなる。江戸中期より現在、正座の本格的な歴史は約400年。それ以前は男性も女性もみな、ごく普通に立てひざや胡座だったのである。
ちなみに、約400年の歴史しかない正座が、正しく座ると書く、つまり最も正しい座り方と呼び名のうえでも認定されたのは、戦前、修身の教科書の中で正座という言葉が使われたのが最初だといわれている。それまでは端座などと呼ばれていた。言葉としては、正座はわずか60〜70年の歴史しかないことになる。
(2006年8月21日掲載)

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