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第89回 『ビタミン』

■ ビタミンの発見者

今やブームとは言えないほど定着した感のあるサプリメント(栄養補助食品)。「毎朝ごはん代わりに数種類摂っています」などという人も珍しくないようである。なかでも人気なのがビタミン剤。ところでこのビタミンという成分を世界で最初に発見したのは、意外にも日本人である。
その人は鈴木梅太郎博士。鈴木博士は、当時不治の病であった脚気(かっけ)の研究の際に米ぬかから発見したこの成分を、イネの学名であるオリザ・サティヴァからオリザニンと名づけ、1910年(明治43年)12月13日に発表した。しかしこの大発見は論文が日本語で書かれていたために世界から注目されず、翌年同様の発見をしたポーランドのフンク氏に栄誉が与えられることになり、彼の名づけたビタミン(Vitamin)という名称が一般化したのである。このVitaminという名前は、ラテン語のVita「命に必要な」とAmine「窒素基を持つ物質」を合体させた造語であるらしい。ちなみに鈴木博士がオリザニン(現在のビタミンB1)を発表した12月13日という日は、2000年(平成12年)に国民の健康増進を願い「ビタミンの日」として制定されている。


■ ビタミンB1と脚気

次に、鈴木博士が研究していた「脚気」について紹介しておこう。
脚気はビタミンB1の欠乏によって脚がしびれたりむくんだりする病気である。最近ではあまり見られなくなったが、原因が判明する以前は、日本人にとって国民病のような存在であり、ひどい場合には死に至ることもあった。歴史上の人物では、日本武尊(やまとたけるのみこと)や藤原定家、足利義政が脚気であったという記録が残されている。
また、江戸時代には「江戸患い」という名前で呼ばれていたこともあった。当時、江戸ではそれまで食べていた玄米や麦飯の代わりに美味しい白米が好まれるようになり、そのためビタミンB1が不足して脚気になる人が増えてしまったのである。あの徳川家光も脚気だったらしい。明治時代には、毎日のように白米が与えられていた軍人の間に脚気が流行した。日清戦争では陸軍の脚気患者は4万人を越え、死亡者も4,000人に達するというおそろしい病気であった。
ちなみに、栄養状態の良くなった現代でも、スポーツ好きの若者などが脚気になることがあるという。原因は清涼飲料水やインスタント食品の過剰摂取。こうした食品は、カロリーは高いがビタミンB1はあまり含まれていない。運動したら、意識してビタミンB1を摂るように心がけたい。
(2005年10月31日掲載)

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