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第88回 『制服』

■ セーラー服と詰襟

最近、詰襟やセーラー服を着ている生徒が少なくなっているように思う。制服がおしゃれなブランドもののブレザーに変わりつつあることや、そもそも制服のない学校が増えているからだろう。20年くらい前までは、女子生徒のセーラー服姿はいまよりずっと多く、男子生徒もほとんどが詰襟を着ていたように思うのだが・・・。
思えば制服というものは、実に便利な存在であった。なんといっても朝、服装で迷う必要がない。日々、何も考えず制服を身につければ、通学準備完了であった。
しかし、これだけ愛用していた制服のルーツに関しては、大人になった今でも何にも知らない。今回は、そんな制服について調べてみた。


■ 制服のルーツは

セーラー服は、その形状やセーラー(水兵)という名前から推察できるように、海軍服がルーツである。1628年、由緒正しいイギリス海軍(ロイヤルネイビー)の水兵に支給されたのが元祖セーラー服であった。
初めて水兵以外でセーラー服が着用されたのは、18世紀末のイギリス海軍幼年学校。その後、伝統的に海軍好きが多いイギリス人が、学校の制服以外でも子供にセーラー服を着せるようになった。男子は下が半ズボン、女子はスカートという組み合わせである。
日本において最初にセーラー服が採用されたのは、大正10年(1921年)のこと。福岡女学院のエリザベス・リー校長が、体操の時にも動きやすいようにと、過去に自分が着ていたセーラー服をモデルに体操服としてデザインしたのが始まりといわれている。ところで、セーラー服特有のあの背中に垂れ下がった大きな襟だが、ちゃんと意味があるらしい。一説には、波音や風のうるさい中、号令などを聞きとりやすくするために、あの大きな襟を立てていたという話である。
一方、詰襟だが、こちらのルーツは陸軍服。明治15年、文部省の指導で官立学校に学生服が普及し、17年には東京農林学校で、19年には東京帝国大学で詰襟金釦が採用されたのをきっかけに、以後中等教育以上の学校で制服として広まることとなった。
当時学生といえば大変なエリート。そのエリート意識を高め、また日常の軍事訓練に適しているということで、陸軍下士官の制服をモデルに作られたという。
ちなみに、詰襟は「学ラン」とも呼ばれるが、この語源をご存知だろうか。学ランの「ラン」は、江戸時代の言葉で洋服を意味する「ランダ」の略語である。鎖国中の日本にとって、西洋といえばオランダ。そのオランダ人たちが着ていた衣服が「ランダ」。学生が着ている洋服だから、「学ラン」というわけだ。
(2005年10月24日掲載)

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