





このコーナーでは、日立製作所の研究所等で研究・開発を行っている技術テーマを中心としたコラムをお届けします。
研究員にインタビューを行い、技術テーマ解説・開発過程におけるエピソードなどを交えてわかり易くご案内いたします。
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「二交点セル方式」は、挫折と努力の積層から生まれた結晶だった。
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■ 64kビットDRAMで実現した「二交点セル方式」
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◆日米のポジションを逆転
半導体メモリーにはさまざまな種類があるが、最も多く生産されているのがDRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリー)で、伊藤フェローが長年にわたって開発に携わってきたメモリーである。DRAMは、1970年に米国で開発された。記憶容量は1kビットだった。その後、ほぼ3年で4倍のペースで集積度を高め、コンピューターや電子機器の小型・高性能化を支えてきた。
1970年代までは米国が圧倒的な優位を持っていたが、64kビットを境にして、日米のポジションが逆転し、その後、「日米半導体戦争」と呼ばれる技術摩擦にまで発展することになる。
伊藤フェローの発明した「二交点セル方式」は、まさに1980年に製品化された64kビットDRAMで実用化されたもので、日立の世界シェアは1980年代初期に40%にまで達した。現在、最新のDRAMは1Gビット(ギガ:10億ビット)にまで進化している。
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◆「二交点セル方式」によるブレークスルー
DRAMのメモリーセルは、碁盤の目のように交わるワード線とデータ線の交点に配置され、トランジスタとキャパシタ(電荷を貯めるコンデンサ)で構成されている。このキャパシタに電荷があるかないかで「1」と「0」に対応させて情報を記憶するわけだが、構造がシンプルなので、碁盤の目を細かくすることで集積度を高めてきたのである。
しかし、64kビットまで集積度が高まると信号とノイズの区別がつきにくくなり、大きな壁に突き当たった。このとき、伊藤フェローは、データ線2本を近接して平行に配置した「二交点セル方式」を発明し、問題をクリアするのに成功した。「二交点セル方式」は、現在に至ってもすべてのDRAMに採用されている。
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※クリックして拡大図をご覧下さい
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■ 取材を終えて
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「今、日立という会社は、伊藤さんのように30歳そこそこの人にプロジェクトリーダーを任せるようなことはありますか」と、率直な質問をしてみた。
火の出るような答えだった。
「そういうことをしなきゃいけないと私は思います。これは日本全体の問題でもあるんだけれども、平均年齢が高いんですね。新しい分野は若い人に任さなきゃいけないですね。それは失敗できる時間があるからです。何度失敗しても、何かつかむ、ひとつの流れを作ってゆく、それは若い人の持ち時間があるからですよね。そうしなきゃいけないと思います。なるべく未知の分野、誰も恐れてやりたがらないところを若い人が思い切ってやる。失敗なんて、当然チャレンジすれば失敗するんだってことですね。そうして若者は先輩を超えて成長するんですよ」
伊藤さんの内側に青年を感じたインスピレーションは間違っていなかったと思う。日立はこの「大業績の人」を大いに誇るべきだ。
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(取材・文 えのきど いちろう)

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