





このコーナーでは、日立製作所の研究所等で研究・開発を行っている技術テーマを中心としたコラムをお届けします。
研究員にインタビューを行い、技術テーマ解説・開発過程におけるエピソードなどを交えてわかり易くご案内いたします。
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IPv6の“伝道士”として中国のインターネット環境づくりに貢献
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■ 次世代のインターネット環境へ

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上海の生まれである。

上海の大学で電気工学を専攻し、日本の大学院で電力系統のシステム制御を研究してきた。1998年に日立に入社して、当時の情報通信事業部に配属された。仕事は、次の時代の事業戦略とマーケティングを考えることだった。
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「中国にいた頃の日立のイメージは家電メーカーという感じでしたが、入社して日立のフィールドの広さを実感しました。

私の専門は電力システムですが、システム制御の考え方は通信ネットワークにも通じます。通信分野ではIPネットワーク時代を迎えていますが、現在、標準的に使用されているIPv4は、米国の巨大企業の製品がデファクト・スタンダードになっていました。そこで、日立は次世代のIPv6に積極的に取り組む方針を打ち出し、業界初のIPv6対応製品を製品化したところでした」

衛技師は、IPv6対応のアクセスゲートウェイAG8100やギガビットルーターGR2000といった製品を軸にして、国内のキャリア(通信事業者)やプロバイダー(インターネット接続業者)などに提供するビジネスに関わることになった。ネットワークビジネスはソリューションが基本である。自社にないパーツ、コンポーネントを組み込んでシステム化を図るとともに、お客様の要望を開発部門にフィードバックすることも重要な仕事になった。
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■ 中国ビジネスへ

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2001年に入って、日立は中国ビジネスをいっそう強めることになった。情報・通信グループも中国に力を入れることになり、通信事業ではIPv6を切り口にして事業を展開することになった。

「そうはいっても、当時はIPv6など中国ではまったく知られていませんでしたから、まず認知してもらうことから始めねばなりませんでした。政府やキャリアの関係者を招いて展示会やフォーラムを開催して説明し、少しずつ理解を広げていきました。興味を示したお客様には製品を貸し出し、評価いただくためにシステム構築をサポートするなど、とにかく何でもやりました」

IPv6が浸透するにしたがって引き合いや問い合わせが増え、衛技師はさらに多忙をきわめる。SARS騒ぎの後には1か月のうちに20日以上も北京に出張するような日々が続いた。
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